吉川『三国志』の考察 第064話「淯水は紅し(いくすいはあかし)」

鄒氏(すうし)の美貌にうつつを抜かした曹操(そうそう)は、油断から張繡(ちょうしゅう)配下の賈詡(かく)の計略にはまってしまう。

宛城(えんじょう)の城外に置いていた本営は炎に包まれ、曹操自身こそ命拾いしたものの、長子の曹昂(そうこう)と甥の曹安民(そうあんみん)に加え、これまで忠実な態度で身辺を守ってくれた典韋(てんい)をも失うことになった。

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第064話の展開とポイント

(01)宛城

曹操は急に宛城内の閣を引き払い、城外の寨(とりで)へ移る。

張繡は、叔父の張済(ちょうさい)の未亡人である鄒氏と曹操との関係を知り不満をこぼす。賈詡はなだめながら一策を案じ、侍臣を遠ざけてふたりで密語を交わした。

(02)宛城の城外 曹操の本営

翌日、張繡は城外の曹操の中軍をさりげなく訪ね、このところ城中の秩序が緩み、兵士たちが勝手に振る舞い、他国へ逃散(ちょうさん)する者が多くて困っていると話す。

曹操は降伏者としての遠慮を口にする張繡に、独自の判断で兵の配置を動かすことを認める。

(03)宛城

張繡から首尾を聞いた賈詡は、城中第一の勇猛を誇る胡車児(こしゃじ)を呼ぶ。胡車児は、曹操に付いている典韋と戦って勝つ自信があるかと問われるが、あわてて顔を横に振った。

そこで胡車児は酒好きの典韋を酔いつぶし、彼を介抱するふりをして、自分が曹操の中軍へ紛れ込むという策を案ずる。

賈詡もこの策に同意。胡車児は張繡の招待状を届け、典韋から承諾の返事を得た。

翌日、典韋は日暮れ前から城中へ出向き、二更(午後10時前後)のころまで飲み続ける。そして、ほとんど歩くのもおぼつかないほど泥酔し戻っていった。このとき胡車児が介抱しながら曹操の中軍までついていく。

(04)宛城の城外 曹操の本営

交代の時刻まで間があったので、典韋は自分の部屋に入るなり前後不覚に眠ってしまう。胡車児はそっと彼の戟(げき)を手にし、後ずさりして立ち去った。

その夜も曹操は鄒氏と酒を酌み交わしていたが、陣中を包む黒煙で異変を悟る。しかもいくら呼び立てても、いつになく典韋が来なかった。

鼻を突く異臭で跳ね起きた典韋だったが、見ると戟がない。具足を着ける暇もなく半裸のまま外へ躍り出す。

敵の歩卒から刀を奪い、寨門(さいもん)のひとつを奪回。続いて長槍(ちょうそう)を持った騎兵ら20余人を斬り、奪った刀や槍(やり)が使い物にならなくなると、左右の手にふたりの敵兵を引っ提げ、これを縦横に振り回して暴れた。

すると張繡配下の兵士たちは、遠巻きにして矢を射始める。典韋は寨門を死守したまま突っ立っていたが、五体に無数の矢を受け、すでに立ったまま死んでいた。

この間に曹操は馬に飛び乗って逃げ出し、曹安民ひとりが裸足で後からついていく。

曹操が逃げたことが伝わると、すぐに騎兵が追いかけて矢を放つ。乗馬には3本の矢が立ち、曹操も左肘に矢を受けた。徒歩(かち)の曹安民は逃げきれず、大勢の敵兵の手に掛かり、なぶり殺しにされた。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第16回)では、曹操は右肘に矢を受けたとある。

(05)淯水(いくすい)

曹操は負傷した馬に鞭(むち)打って淯水を渡り切ろうとしたが、対岸へ上がろうとしたところでまた一矢を受けた乗馬が倒れた。

身ひとつで岸へ這(は)い上がる曹操。そこで逃げ落ちてきた長子の曹昂と出会う。曹昂は自分の乗馬を勧め、曹操はうれしさにすぐ飛び乗って駆け出す。しかしまだ100歩も駆けないうちに、曹昂は敵の矢が当たり戦死した。

曹操は拳で自分の頭を打って悔やみ、曹昂の遺体を鞍(くら)の脇に抱え乗せ、夜通し逃げ走る。2日ほど経つとようやく曹操の無事を知り、離散した諸将や残兵が集まってきた。

ここへ、于禁(うきん)が謀反を起こして青州(せいしゅう)の軍馬を殺したという訴えが、青州の兵士たちから届く。激怒した曹操は于禁の陣に急兵を差し向ける。

于禁は兵を差し向けられたことを聞くが、あわてずに備えを固めるよう命ずる。部下は早く弁明の使いを遣るよう勧めたが、于禁は聞かない。

その後、張繡の軍勢が殺到したものの、于禁の陣だけは一糸乱れずよく戦い撃退する。

曹操は子細を聞くと、その対応ぶりを口を極めて称賛。特に于禁を益寿亭侯(えきじゅていこう)に封じ、当座の賞として黄金の器物一副(ひとそえ)を授けた。

そして于禁を謗(そし)った青州兵を処罰し、その主将たる夏侯惇(かこうじゅん)には譴責(けんせき)を加えた。

賞罰のことが片づくと祭壇を設け、戦没者の霊を祭る。こうして曹操は惨敗を喫し、許都(きょと)へ引き揚げていった。

(06)許都

曹操が帰還した後、徐州(じょしゅう)から陳登(ちんとう)がやってきて、捕らえた袁術(えんじゅつ)の使者の韓胤(かんいん)を差し出す。

曹操は陳登の口上を聞くと、すぐ刑吏に韓胤の首を斬るよう命ずる。韓胤は市に引き出され、特に往来の多い辻(つじ)で死刑に処された。

その夜、曹操は陳登を私邸に招き、宴を開く。

管理人「かぶらがわ」より

鄒氏に夢中になり大失態を演じてしまう曹操。長子の曹昂と甥の曹安民、さらに忠実に身辺を守っていた典韋まで亡くしました。

でも、この惨敗は彼の油断が招いたもの。ちょっとした気の緩みが、このような結果を招くこともあるのですね……。

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