吉川版『三国志』の考察 第054話 「大江の魚(たいこうのうお)」

父の孫堅(そんけん)を亡くしたあと、まだ若すぎる孫策(そんさく)は袁術(えんじゅつ)のもとに身を寄せていた。

己の境遇を嘆く孫策だったが、父の代から付き従う朱治(しゅち)に励まされ、意を決して袁術にあることを願い出る。

第054話の展開とポイント

(01)淮南(わいなん) 寿春(じゅしゅん)

父の孫堅(そんけん)を曲阿(きょくあ)に葬ったときは17歳だった孫策(そんさく)も、今年(興平〈こうへい〉2〈195〉年?)21歳の好青年に成長していた。

父を亡くして長沙(ちょうさ)の地を守り切ることができなくなると、老母と一族を曲阿の身寄りに預け、17歳のころから諸国を漂泊。2年ほど前から淮南に足を留め、寿春城の袁術(えんじゅつ)の門に食客として養われていた。

その間にケイ県(けいけん)の戦(いくさ)に出て大功を顕し、廬江(ろこう)の陸康(りくこう)を討伐して比類なき戦績を挙げた。

井波版『三国志演義』(第15回)では、袁術の命を受けた孫策が、ケイ県で大帥(たいすい。賊の頭目)の祖郎(そろう)に勝利したとある。だが、吉川版『三国志』では「祖郎」を使っていない。

同じく井波版『三国志演義』(第15回)では、陸康は「廬江太守(ろこうのたいしゅ)」だったとある。

孫策は暇があれば武技を練り、山野に狩猟して心身を鍛えていたが、その日もわずかな従者を連れ伏牛山(ふくぎゅうざん)で一日を過ごしていた。

現在の境遇を嘆くと従者のひとりの朱治(しゅち)が慰める。朱治は励まし、(母方の)叔父でもと丹陽太守(たんようたいしゅ。丹楊太守)の呉景(ごけい)を救うためと称して袁術に暇(いとま)を乞い、同時に兵を借りるよう勧める。

すると、この話を木陰で熱心に立ち聞きしていた呂範(りょはん)が出てきて、あなたが決起するなら100余人の兵を連れ、真っ先に力添えをすると言いだす。非常な喜びを覚える孫策。

日を経て袁術に会うと、叔父の呉景が揚州(ようしゅう。楊州)の劉繇(りゅうよう)に攻め立てられ、身の置き所もない逆境にあることを話す。

そして、涙ながらに一軍の雑兵を貸してほしいと頼む。江(長江〈ちょうこう〉)を渡り叔父を助け、母や妹たちの安穏を見届けたら再び帰ってくるとも。

孫策は、黙然と考え込んでいる袁術の目の前に「伝国の玉璽(ぎょくじ)」が入っている小箱を捧げる。これを預けると伝え、重ねて願いを聞き届けてほしいと頼んだ。

孫策の父の孫堅が「伝国の玉璽」を手に入れた経緯については、先の第31話(01)を参照。

話を聞いた袁術は快諾し、兵3千人と馬500頭を貸し与え、武器や馬具なども調えてやる。さらに兵を指揮するための職権も必要だとし、孫策に「校尉(こうい)」の職を与え「殄寇将軍(てんこうしょうぐん)」の称号を許した。

井波版『三国志演義』(第15回)では袁術は孫策に、「わしが上表して『折衝校尉(せっしょうこうい)・殄寇将軍』に任命してもらってやる」と言っていた。

孫策は勇躍し、即日、軍勢をそろえて出立。付き従う面々には先の朱治と呂範を始め、父の代から仕え流浪中もそばを離れずにいてくれた、程普(ていふ)・黄蓋(こうがい)・韓当(かんとう)などの頼もしい者たちもいた。

(02)歴陽(れきよう)

こうして孫策が歴陽の辺りまで来たところ、少年時代からの親友である周瑜(しゅうゆ)が駆けつけて合流。

さっそく周瑜は、「江東(こうとう)の二賢(『二張〈にちょう〉』とも)」と呼ばれている張昭(ちょうしょう)と張紘(ちょうこう)を招くよう勧める。

やがて孫策は張昭の閑居を自ら訪ね、熱心に説得して起たせることに成功。続いて張昭と周瑜を遣わし張紘を説かせる。その結果、彼の陣中には二賢人が左右の翼となって加わった。

井波版『三国志演義』(第15回)では、張紘についても孫策自身が説得にあたったように書かれている。

孫策は張昭を「長史(ちょうし)・中郎将(ちゅうろうしょう)」と敬い、張紘を「参謀(さんぼう)・正議校尉(せいぎこうい)」に据え、いよいよ一軍の威容が整う。

井波版『三国志演義』(第15回)では、張昭を「長史」に任じて「撫軍中郎将(ぶぐんちゅうろうしょう)」を兼任させたとある。張紘の官職は上にあるものと同じ。

彼が第一の敵として狙いをつけたのは、叔父の呉景を苦しめた揚州刺史(ようしゅうしし。楊州刺史)の劉繇。劉繇は揚子江(ようすこう。長江)岸の豪族で名家だった。

また、漢室(かんしつ)の流れをくみ、兗州刺史(えんしゅうしし)の劉岱(りゅうたい)が兄に、太尉(たいい)の劉寵(りゅうちょう)が伯父に、それぞれあたっていた。

ここでの劉繇の紹介の中に「そしていま、大江の流れに臨む寿春にあって……」という記述があり、彼が寿春にいるように書かれていた。だが、このとき寿春には袁術がいたはずなので、この記述はおかしいと思う。

なお井波版『三国志演義』(第15回)では、劉繇はもともと「揚州刺史」として寿春に駐屯していたが、袁術に追われて江東に渡り、曲阿にやってきたとあるため状況説明がわかりやすかった。

管理人「かぶらがわ」より

前話から場面が変わり、今度は孫策の動向についての話。長沙の地盤がなくなってからも付き従っていたという、朱治・程普・黄蓋・韓当。彼らは父の孫堅が遺してくれた「人財」と言えますね。

これに孫策を見込んだ呂範が加わり、親友の周瑜も合流。そこへ来て二張の説得に成功。ものすごい勢いで陣容が整いましたね。

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