先に蜀(しょく)に入った劉備(りゅうび)の要請を受け、諸葛亮(しょかつりょう)の指示で巴郡(はぐん)を経由し、雒城(らくじょう)へ向かう張飛(ちょうひ)。
だが、巴郡を守る厳顔(げんがん)は世に聞こえた名将で、張飛の策をことごとく退ける。それでも彼は諦めず、苦心の末にひとつの奇策を思いつく。
第200話の展開とポイント
(01)巴城の城外
百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである。張飛は一策を案出し、7、800の兵を集めて命じた。
「貴様たちはこれから鎌を持って山路を尋ね、馬糧の草を刈ってこい。なるべく巴城の裏山に面したところの奥深い山の草を刈ってまいれ」
翌日もその翌日も、草刈り部隊は盛んに本隊へ草を運んだ。城中の厳顔は察しがつかなかったので、10人の物見を選んで鎌を持たせ、こう密命を下した。
「夜のうちに裏山へ入り込み、夜明けとなり張飛の兵がやってきたら、巧みに彼の草刈り部隊に紛れ込め。終日、草を刈って馬に積んだら、そのまま張飛の兵に成り済まし、敵の本陣へついていけ」
「そして、彼らが何のために働いているか探り知ったら、さっそく抜け出して真相を城へ告げよ。早く正しい報告を持ってきた者へ順に恩賞を与えるであろう」
草刈り兵に成り済ました厳顔の密偵は、おのおの夜のうちに山へ隠れた。翌日の夕方、例の通り張飛の兵は馬に草を積み、ぞろぞろ本陣へ帰っていった。
だがそのうちの組頭(くみがしら)が、張飛の顔を見ると言った。
「大将。決して労を惜しむわけではありませんが、雒城へ通るには、何もあのような道なきところを切り開かなくても、別に巴城の搦(から)め手(裏門)の上から巴郡の西へ出る間道がありました。なぜあの隠し道をお進みにならないのですか?」
すると、張飛は初めて知ったように目を見張り大喝した。
「なに、なに。そんな間道があったのか。馬鹿野郎っ! そのような道のあることを知りながら、なぜ今日まで黙っていたのだ」
すぐに張飛は進発の準備を命ずる。ここの巴城などは打ち捨て、一路雒城へ通ることこそ狙いなのだという。にわかの軍令に宵闇は一時、大混雑を起こした。
二更(午後10時前後)、兵糧を使う。三更(午前0時前後)、兵馬の隊伍(たいご)なる。
そして四更(午前2時前後)、月光を見ながら枚(ばい。夜に敵を攻める際、声を出さないよう兵士の口にくわえさせた細長い木)を含み、馬は鈴を収め、降る露を浴びながら粛々と山の隠し道を進んでいく。
厳顔の密偵はこれを知るや、宵の間にここを脱出し、前後して城中へ走り帰る。
(02)巴城
厳顔は、次々に帰ってきた密偵の言葉がすべて一致していたので、城中の軍勢をことごとく手分けし、勝手を知る間道の要所要所に兵を伏せて待った。
(03)巴城の城外
やがて木々の茂る間を、黒々と敵の先鋒と中軍が通っていく。紛れもない張飛の姿も見える。
それをやり過ごして輜重(しちょう)部隊の影を見たころ、厳顔は合図の鼓を高らかに打たせた。四面の伏兵は喚声を上げ、まず敵の行軍を両断し、後尾の輜重部隊を包囲した。
すると驚いたことに、すでに先刻、中軍にあって先へ通っていったはずの張飛が躍り出る。厳顔は仰天して馬から転げ落ちそうになった。
やむなく厳顔は向かっていくが、張飛はあざ笑いながら丈八の矛も用いず、片手を伸ばして相手の上帯をつかみ寄せる。そして、厳顔の身を自分の部隊の中へ放り投げた。
★張飛の丈八(一丈八尺)の矛とは蛇矛(じゃぼう)のこと。『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると、「(蛇矛は)穂先が蛇のように曲がっている矛」だという。
さすがに武芸のたしなみが深い老将なので、厳顔は投げられても醜く腰を打たなかった。よろめく足を踏み止め、ただちに四囲の雑兵と戦う。
けれど如何(いか)にせん老齢。力尽き、高手小手(両手を後ろに回して、二の腕〈高手〉から手首まで厳重に縛る様子)に縛り上げられてしまった。
張飛が、厳顔を捕らえたことを伝えて降伏を呼びかけると、城兵は争って鎧(よろい)や矛を投げ捨て、大半が降人になった。
(04)巴城
こうして張飛はついに巴城に入り、郡中を治めた。また、このような法三条を出したので、土民もみな懐いた。
「民ヲ犯スナ」
「旧城文物ヲ破壊スナ」
「旧臣土民ヲ愛撫(あいぶ)セヨ」
張飛は厳顔を引かせてくるが、彼は階下にひざまずこうとせず、「我、敵にする礼を知らず」と冷ややかにうそぶく。
張飛が剣に手を掛け、今のうちに降参しないと首が落ちるぞと言っても、厳顔は自分の首に別れを告げ、自ら頸(くび)を伸ばしてみせる。
これを見た張飛は不意に後ろに寄り、厳顔の縄を解く。手を取って庁上へいざなうと、膝を折り再拝した。
「厳顔。あなたは真の武将だ。人の節義を辱めるは、わが節義に恥じる。さっきからの無礼は許したまえ」
厳顔は恩に感じて降伏を誓い、成都(せいと)に入る計を教える。
「ここから雒城までの間だけでも、途中の関門には大小37か所の城がある。力業で通ろうとしたら、100万の兵をもって3年かかっても難しいであろう」
「しかしこの厳顔が先に立ち、我すらかくのごとし、いわんや汝(なんじ)らをや――と諭していけば、風を望んで帰順するでしょう」
事実、厳顔を先鋒に立てて進むほどに、関は門を開き、城は道を掃いて、血を見ずにすべての要害を通ることができた。
管理人「かぶらがわ」より
冒頭の一節がよかったです。「百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである」と――。
意外でしたが、ここで語られた張飛と厳顔とのエピソードは、『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・張飛伝)にほぼ見えていました。まったくの創作ではないのですね。
巴郡太守(はぐんたいしゅ)だった厳顔はいったん生け捕られたものの、その態度が見事だと感じた張飛に許され、賓客になったということでした。
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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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