吉川『三国志』の考察 第275話「戦車と地雷(せんしゃとじらい)」

魏延(ぎえん)の策にかかった兀突骨(ごつとつこつ)は、ついに盤蛇谷(ばんだこく)まで誘い込まれる。

兀突骨は、大きな箱車が十何輛(りょう)も置き捨ててあると聞き、喜んだのもつかの間、谷から出ようとしたところへ巨岩や大木が降ってきた。さらに、そばにあった一輛の車がいきなり炎を噴き出す。

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第275話の展開とポイント

(01)魏延の誘導作戦

この日は藤甲兵(とうこうへい)の全軍に、兀突骨も自ら指揮に立ち、江(桃葉江〈とうようこう〉)を渡ってきた。

『三国志演義(6)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第90回)では、桃葉江は桃花水(とうかすい)とあった。

蜀兵(しょくへい)は抗戦に努めると見せかけながら、次第に崩れ立ち、やがて算を乱し、我がちに退却。そして、一竿(いっかん)の白旗が見える地点に集結した。

兀突骨は勝ち誇り、後陣にいる孟獲(もうかく)へも合図を送る。こうしていよいよ追撃を加え、再び敵の集結を突いた。

魏延は予定のことなので、戦っては敗れ、戦っては敗れと見せかけながら、第三の白旗、第四の白旗と退却を続ける。7日のうちに3か所の陣屋を捨て、7か所の集結を崩して逃げた。

「予定のこと」については前の第274話(06)を参照。

兀突骨は敵の脆(もろ)さを疑いだし、追撃の手を緩める。すると魏延は急に気勢を上げ、新手を加えて逆襲を試みた。

魏延自身が先頭を進み、兀突骨に一騎討ちを挑む。そうしたうえで矛先から逃げ走ったので、兀突骨も「今こそ」と、拍車をかけて魏延を追う。

誘導作戦は難しい。逃げすぎても疑われる。魏延は折々に引き返して敵を罵った。そうしてはまた虚勢を示し、ついに15日の間、15か所の白旗をたどり、逃げに逃げる。

ここに至っては猜疑(さいぎ)深い兀突骨も、自身の武勲に思い上がらざるを得ない。部下を顧みて大象の上から豪語した。

上げた戦果と分捕った酒に酔い、すさまじい気炎を示し、無敵藤甲軍の自信は満々と、翌日の戦いに臨む。

魏延はこれを迎え、奮戦力闘を試みた後、わざと奔って一山を逃げ巡り、盤蛇谷の懐へ逃げ込んだ。

(02)盤蛇谷

追撃してきた兀突骨は、一応白象を止めて、伏兵がいないかと用心深い目で見回す。だが四山には草木もなく、埋兵の気ぶりも見えない。全軍を谷で休めてひと息入れると、手下の蛮兵が知らせた。

「ここから奥へかけて、大きな箱車が十何輛も置き捨ててあります」

自ら確かめに行くと、なるほど、兵糧を積んだ貨車かと思える車が諸所に散乱している。喜んだ兀突骨は、みな谷の外へ引き出し、まとめておけと命じた。

そして後へ戻り、谷道の峡口を出ようとすると突如、天地を鳴り轟(とどろ)かせ、巨岩や大木が頭上に降ってきた。

仰天して退く間もなく、左右の蛮兵は大石や大木の下になり、何百となく屍(しかばね)となっている。なおも大木や岩が落とされ、たちまち谷口はふさがってしまった。

「まだ山上に敵がいるぞ。早く出ろ。早く道を開け!」

兀突骨が狂気のごとく叱咤(しった)すると、そばにあった一輛の車がひとりでに炎を噴き出す。

驚いた全軍が我がちに谷の奥へなだれ打っていくや、轟然(ごうぜん)と大地が裂ける。烈火と爆煙に跳ね飛ばされた蛮兵の手足は、土砂とともに宙天の塵(ちり)となった。

兀突骨がその背から飛び下りると、白象は火炎の中へ奔り込んで焼け死ぬ。彼は断崖にしがみつき、逃げ登ろうとしたが、左右の山上から投げ炬火(たいまつ)が雨のごとく降り注いでくる。

のみならず、岩間や地の下に隠れていた薬線に火が付くと、さしも広い谷間も、須臾(しゅゆ。しばらく)にして油鍋に火が落ちたような地獄となった。

烏戈国(うかこく)の藤甲軍は、一兵残らず焼け死ぬ。その数は3万を超え、やがて火勢の冷めた後、盤蛇谷の上から見ると、さながら火に駆除された害虫の亡骸(なきがら)のようだった。

翌日、諸葛亮(しょかつりょう)はそこに立ち、涙を流して嘆息する。

「社稷(しゃしょく。土地と五穀の神。国家)のためには多少の功はあろうが、私は必ず寿命を損ずるだろう。いかにとはいえ、かくまで殺戮(さつりく)をなしては――」

これを聞いた者はみな哀れを催したが、ひとり趙雲(ちょううん)はしからずと言い、かえって小乗観であると難じた。

「生々流相(せいせいるそう)、命々転相(めいめいてんそう)。象(かたち)をなしては滅び、滅びては象を結ぶ。数万年来、変わりなき大生命の姿ではありませんか」

「黄河(こうが)の水ひとたびあふるれば、何万人もの人命が消えますが、蒼落(そうらく)としてまた穂は実り、人は増えていく。黄河の狂水には天意あるのみで、人意の徳はありませんが、あなたの大業には王化の使命があるのではありませんか」

「蛮民100万を滅ぼすも、蛮土千載(1千年)の徳を植え残しておかれれば、これしきの殺業、何物でもございますまい」

諸葛亮は趙雲の手を額に頂き、さらに落涙数行する。

井波『三国志演義(6)』(第90回)では、ここにあるような趙雲の発言は見えず。

(03)盤蛇谷の近く

一方の孟獲は後方の陣屋にあって、烏戈国兵の全滅を夢にだも知らずにいた。そこへ1千人ばかりの蛮兵が迎えに来て告げる。

「烏戈国王には藤甲軍をひきい、さしもの蜀勢を追い詰められ、ついに孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)を盤蛇谷へ追い込まれました。大王にもすぐ来られて、ともに孔明の最期をご覧あれとのお言葉です」

これを聞いた孟獲は、ただちに大象に乗り、総勢とともに盤蛇谷へ急いだ。

(04)盤蛇谷

ところが、次に孟獲が気づいたときには、案内として先を駆けていた怪しげな蛮兵の一隊は見当たらない。

ちとおかしいと引き返そうとすると、時すでに遅し。一方の疎林から張嶷(ちょうぎ)と王平(おうへい)が鼓を打って殺出。一面の山陰からも、魏延と馬忠(ばちゅう)が喚呼を上げて迫った。

狼狽(ろうばい)のあまり、孟獲が山の根まで突き当たるように奔っていくと、早くも馬岱(ばたい)や関索(かんさく)らが、蛇矛(じゃぼう)や龍槍(りゅうそう)を振るって駆け向かってくる。

『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると、「(蛇矛は)穂先が蛇のように曲がっている矛」だという。

白象は鈍重すぎる。孟獲はその背から飛び下り、林の中の一路へ走り込む。

すると前面から、金鈴や銀鈴を響かせ、一輛の四輪車が押されてくる。諸葛亮は羽扇を上げて一喝した。

「反奴(はんぬ)孟獲。まだ目が覚めぬかっ!」

孟獲は目がくらみ、あぁ――と高く両の拳で天を突いたかと思うと、大きなうめきを発して気を失い、その場に倒れてしまう。難なく縄を掛け、馬岱が引いて帰った。

ここで孟獲七擒(しちきん)。

管理人「かぶらがわ」より

これで孟獲七擒(六放)。無敵と思われた藤甲軍も、火には弱かったという結末に。

ですが諸葛亮が嘆ずるまでもなく、この計はやりすぎでしょうね。孟獲と兀突骨さえ捕らえられればよかったのですから……。

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