『三国志 Three Kingdoms』の考察 第59話「銅雀台に詩を戦わす(どうじゃくだいにしをたたかわす)」

曹操(そうそう)は銅雀台(どうじゃくだい)で盛宴を催すが、荀彧(じゅんいく)と荀攸(じゅんゆう)は姿を見せなかった。

曹彰(そうしょう)が武官に交じって見事な騎射を披露する一方、曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)は文官とともに、「銅雀台」を題目に賦(ふ)の腕前を競い合う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

第59話の展開とポイント

(01)耒陽県(らいようけん)

劉備(りゅうび)のもとに、息子の阿斗(あと)が意識を失ったとの知らせが届く。しかし劉備はリュウコウ(龐統〈ほうとう〉)への謝罪を優先し、襄陽(じょうよう)へ戻ろうとはしなかった。

それでもリュウコウは去ると言い、劉備は郊外まで見送ったうえ愛馬の的驢(てきろ)を贈る。リュウコウは劉備の態度に感じ入り、改めて仕える決意をした。

(02)襄陽

諸葛亮(しょかつりょう)が4郡の視察から戻り、龐統と再会。ここで劉備はリュウコウの本当の姓名が龐統であり、鳳雛(ほうすう)その人だと知る。

(03)許都(きょと)

曹操が曹彰を烏丸族(うがんぞく)の討伐から呼び戻す。

司馬懿(しばい)が曹丕・曹彰・曹植の3人に、翌日催される銅雀台の会の予定を伝える。

この際、司馬懿は賦比べの題目を知りたがった曹丕にだけ、題目が「銅雀台」であることを教える。司馬懿は曹丕に、題目を知りたがる息子がいれば教えよとの、曹操の言いつけだったことも伝える。

曹丕は陳羣(ちんぐん)に助言を求め、翌日の賦比べに備えて2編の賦を用意する。これは当日集まった群臣の態度を見て、どちらの賦を使うかを決めるという考えだった。

陳羣の字幕紹介がなく、誰なのかわかりにくかった。陳羣のセリフは先の第45話(02)以来か。

(04)銅雀台

荀彧と甥(荀攸のことか?)が病と称し、宴を欠席する。

ここでは鄴(ぎょう)に築かれたはずの銅雀台が、許都に築かれたように描かれていて残念な感じ。

曹彰が武将たちの弓の腕比べで見事な騎射を披露し、曹操から西蜀(せいしょく)の紅錦(くれないにしき)の羽織を賜る。

ここで曹彰が曹操に、自身が大将軍(だいしょうぐん)を目指していることを話したエピソードを使っていた。

続いて曹丕と曹植を含む文官たちが「銅雀台」を題目に賦を作る。

曹植は華やかな文体を用いて曹操をたたえる賦を作る。一方の曹丕は漢室(かんしつ)の繁栄を願う賦を作る。

曹操は曹植の賦を評価。褒美として、天子(てんし。献帝〈けんてい〉)に上奏し平原侯(へいげんこう)に封ずることを告げる。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王沈(おうしん)の『魏書』によると、211年1月に曹植は平原侯に封ぜられている。

ただしこれは、曹操が前年(210年)12月に献帝に封邑(ほうゆう)の辞退を申し出た際、そのうちの1万5千戸が曹植・曹拠(そうきょ)・曹豹(そうほう。曹林〈そうりん〉)の3人に5千戸ずつ分与されたことによるもの。とはいえドラマにおけるこの設定は、なかなかよくできていると感じた。

鍾繇(しょうよう)らが曹操の功績をたたえ、帝位に即くよう勧める。しかし曹操はこれまでの自身の経歴を語り、帝位への野心がないことを宣言する。

(05)曹植邸

曹植が側近の楊修(ようしゅう)らを集めて酒宴を催す。

(06)司馬懿邸

曹丕が司馬懿を訪ねる。司馬懿は銅雀台の会における曹丕の対応をたたえる。

このとき司馬懿は、曹植の賦は曹操の称賛を得たが、天下の識者の心を失ったと評し、曹丕の賦は曹操を不快にさせたが、漢室を支持する識者を感激させるだろうと評した。

司馬懿は曹丕にふさわしい言葉があるとし、耳元で「潜竜(せんりゅう)」とささやいて立ち去る。

(07)丞相府(じょうしょうふ)

司馬懿が曹操に、曹沖(そうちゅう)の死から3年経ったため、約束通り曹操の子息ひとりの師傅(しふ)になると告げる。そして司馬懿は曹丕の名を挙げた。

司馬懿の約束については先の第45話(02)を参照。

管理人「かぶらがわ」より

龐統の加入により、竜鳳の双璧を得た形になった劉備。

銅雀台の会を使い、息子や臣下を試す曹操。賦比べで抜け目なく立ち回った曹丕が印象的でした。「負けるが勝ち」といったところでしょうか。

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました