吉川『三国志』の考察 第027話「関羽一杯の酒(かんういっぱいのさけ)」

届くはずの兵糧が届かなかったため、反董卓(とうたく)連合軍の先鋒を務めた孫堅(そんけん)は惨敗を喫する。袁紹(えんしょう)の本営に集まった諸侯も気落ちぎみ……。

やがて汜水関(しすいかん)から出撃した董卓軍が迫ると、諸侯は華雄(かゆう)の武勇を目の当たりにして肝を冷やす。だが、このとき階下に立つひとりの男が叫んだ。

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第027話の展開とポイント

(01)汜水関

華雄の副将のひとりとして関を守っていた李粛(りしゅく)だったが、細作(さいさく。間者)から孫堅の軍営に炊煙が上っていないとの報告を受ける。

翌日、今度は別の方面からふたりの細作を呼び寄せ、改めて孫堅の軍営の様子を聞く。ここ1か月半ほど糧車が通っていないうえ、妙に馬が痩せてきた。そして、孫堅軍の兵士たちは慕郷の歌をうたっているという。

李粛は夜襲を献策し華雄の同意を取り付ける。その夜、一軍の奇兵をひきい、梁東(りょうとう。梁県以東の意)の部落を本拠としている孫堅軍の背後を突いた。

(02)梁東 孫堅の軍営

梁東の空に李粛の一軍が放った火が見えると、手はず通り華雄も汜水関から打って出る。

孫堅の旗本は善戦して部下を励ましたが、なぜか1か月も前から兵糧が届いていなかったため、その兵は甚だしく弱かった。孫堅は旗本の程普(ていふ)や黄蓋(こうがい)らとはぐれ、祖茂(そも)ひとりを連れて逃げ走る。

ここで祖茂からかぶっている幘(さく。頭巾)を脱ぐよう言われ、それを焼け残りの民家の軒柱に掛けると近くの密林に隠れ込んだ。

案の定、敵の矢は幘に向かって雨あられのように飛んできたが、やがて怪しんだ敵兵が近づき、孫堅がいないと騒ぎだした。

祖茂は木陰に隠れていたものの、華雄の姿を見つけ、槍(やり)で突こうとして返り討ちにされる。

孫堅は祖茂の最期に胸を痛めながら、傷の苦痛も忘れ2里ばかり歩く。やがて逃げ延びた味方を集めたが、全軍の10分の1にも足らない。ほぼ全滅的な敗北を喫したのである。

(03)反董卓連合軍 袁紹の本営

先鋒の孫堅軍が大敗を被ったという知らせに、総帥の袁紹や帷幕(いばく。作戦計画を立てる場所、軍営の中枢部)の曹操(そうそう)、みな色を変えた。

先には鮑信(ほうしん)の弟の鮑忠(ほうちゅう)が抜け駆けしてかなりの兵を損じたとの報告もあったので、諸将も兵士もすっかり意気阻喪の態だった。

その日、袁紹や曹操をはじめとして17鎮の諸侯が本営の一堂に会し、退勢挽回の大作戦会議を開いていた。しかし、敵軍が盛んなことや敵将の華雄の勇名にも圧力を感じ、会議も何となく萎縮していた。

このとき座中の公孫瓚(こうそんさん)の後ろに立ち、笑みを含んでいる者が目についたので袁紹が問いただした。公孫瓚は改めて諸将に劉備(りゅうび)を紹介。曹操も潁川(えいせん)の陣頭で彼に会ったことを思い出す。

袁紹もぶしつけな質問をしたことを詫び、席を与えるよう言う。

劉備は平原県令(へいげんけんれい)という(低い)身分であるからと辞退したが、袁紹は、劉備の祖先が前漢(ぜんかん)の帝系であることに敬意を払ったものだと言う。そこで劉備もひとつの席に着いた。

華雄は勢いに乗って汜水関を出ており、この本営に迫りつつあった。その間にも続々と敗報が届く。曹操は味方の狼狽(ろうばい)ぶりを見ると、部下に命じて酒を持ってこさせる。諸将が酒を飲んでいる間も華雄の軍勢が迫っているとの報告が続いた。

すると袁紹の寵将で武勇の誉れ高い兪渉(ゆしょう)が名乗りを上げ、出撃を願い出る。兪渉は袁紹から賜った杯をひと息に飲むと、敵軍の真っただ中に駆け入ったが、華雄と出会い、6、7合で刀下に斬って落とされた。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第5回)では、兪渉は華雄と3合も手合わせしないうちに斬られていた。

ここで韓馥(かんふく)が、配下の勇将である潘鳳(はんほう)を推挙。

ここでは「太守の韓馥」とあったが、韓馥は冀州刺史(きしゅうしし)として第2鎮に配されており、太守とすべきではない。このあたりのことについては先の第25話(03)を参照。井波『三国志演義(1)』(第5回)では「冀州刺史の韓馥」となっていた。

潘鳳も袁紹の命を受けて乱軍の中へ入ったが、まもなく華雄に討ち取られる。

袁紹は顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)を連れてこなかったことを悔やむも、皆うつむくばかり。

その沈痛を破り、ひとりの男が華雄の首を取ると叫ぶ。階下にいた関羽(かんう)だった。

袁紹から尋ねられた公孫瓚が、劉備の弟の関羽という者で、馬弓手(ばきゅうしゅ)をやっていたそうだと伝える。

すると袁紹は関羽を見下し、大声で叱った。

井波『三国志演義(1)』(第5回)では、ここで大声で怒鳴りつけたのは袁術(えんじゅつ)。

そこで曹操が袁紹を諫め、関羽に酒を与えて出撃を促す。関羽は華雄の首を持ち帰った後で頂戴すると言い残し、戦塵(せんじん)の中に姿を没した。

ほどなく戻ってきた関羽は階を上がり、まだ生々しい一個の首級を中央の卓の上に置いた。まさしく華雄の首だった。

満堂の諸侯も階下の兵士たちも我を忘れ、期せずして万歳を叫ぶと、味方の全軍も一度に勝ち鬨(どき)を上げた。関羽は曹操の前に立ち、預けておいた杯を取り上げひと息に飲み干す。まだ酒は温かかった。

ここで張飛(ちょうひ)が諸将に向かって全軍を進めるよう言い、自分が先鋒となって洛陽(らくよう)へ攻め入り、董卓を生け捕ってみせると叫ぶ。

袁術が身の程をわきまえろと叱ると、曹操がなだめる。なお袁術がつむじを曲げているので、曹操は公孫瓚に告げ、劉備・関羽・張飛の3人を退席させた。そのうえで夜になってから劉備のもとへ密かに酒肴を贈り、3人の心事を慰めた。

管理人「かぶらがわ」より

兵糧を止められ大敗する孫堅。華雄の前に次々と勇将が倒される反董卓連合軍。そしてこの危機を救ったのが関羽だったと……。

「まだ酒は温かかった」というのは微妙な表現ですが、この見せ場によって関羽の強さが皆に印象づけられることになりました。

ただ水を差すようで悪いのですけど、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫堅伝)によると、陽人(ようじん)で都尉(とい)の華雄を討ち取ったのは孫堅です。

また孫堅の幘を代わりにかぶった祖茂が追い詰められ、幘を墳墓の間に立っている焼けた柱にかぶせると、草の中に身を伏せて危機を逃れたのであり――。この戦いで祖茂が討たれたことにはなっていませんでした。

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『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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