【姓名】 伊籍(いせき) 【あざな】 機伯(きはく)
【原籍】 山陽郡(さんようぐん)高平県(こうへいけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第122話で初登場。
【演義】 第034回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・伊籍伝』あり。
劉備(りゅうび)に惚(ほ)れ込んだ能弁の士
父母ともに不詳。
伊籍は若いころ、同郷である鎮南将軍(ちんなんしょうぐん)の劉表(りゅうひょう)のもとに身を寄せた。
★劉表が鎮南将軍・荊州牧(けいしゅうぼく)を務めた期間は192~208年。
201年、劉備が荊州を頼ってくると、伊籍は彼のところに行き来して身を託した。
208年、劉表が死去すると、伊籍は劉備に付き従って南へ向かい、長江(ちょうこう)を渡る。
211年、劉備が益州(えきしゅう)へ入ると、伊籍も遠征軍に随行。
214年、劉備が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、伊籍は左将軍従事中郎(さしょうぐんじゅうじちゅうろう)となり、簡雍(かんよう)や孫乾(そんけん)らに次ぐ待遇を受けた。
★このとき劉備は漢(かん)の左将軍だった。
伊籍が使者として呉(ご)へ赴いた際、かねて彼の弁才を聞いていた孫権(そんけん)は、言葉でやり込めようとする。
そこで伊籍が入ってきて拝礼すると、こう言った。
「無道の主君に仕えて、苦労しているようだな」
すぐに伊籍が応えた。
「一度拝礼して、一度立ち上がるだけのことで、苦労というほどではございません」
伊籍の機知は万事こういう具合だったので、孫権を大いに感心させた。
★ここでの伊籍と孫権とのやり取りについてはイマイチつかめず。特に孫権の発言(「労事無道之君乎」)の解釈が難しかった。
後に伊籍は昭文将軍(しょうぶんしょうぐん)に昇進し、諸葛亮(しょかつりょう)・法正(ほうせい)・劉巴(りゅうは)・李厳(りげん)とともに蜀科(蜀の法律)を作った。だが、その後については記事がない。
管理人「かぶらがわ」より
このあたりで採り上げた麋竺(びじく)・孫乾・簡雍と同様、伊籍も本伝の記事は少なかったです。『三国志演義』や吉川『三国志』における描かれ方とはギャップがあり、創作のほうに巧さを感じました。
伊籍は法律の作成に関わるほどですから、弁才だけでなく、学識も相当なものだったのでしょう。名誉称号と言える昭文将軍からも、そうしたことがうかがえると思います。
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