【姓名】 傅肜(ふゆう) 【あざな】 ?
【原籍】 義陽郡(ぎようぐん)
【生没】 ?~222年(?歳)
【吉川】 第255話で初登場。
【演義】 第081回で初登場。
【正史】 登場人物。
降伏勧告を拒んで蜀(しょく)に殉ずる
父母ともに不詳。傅僉(ふせん)という息子がいた。
221年、傅肜は劉備(りゅうび)の孫権(そんけん)討伐に従軍したが、翌222年、劉備軍は猇亭(おうてい)で孫権配下の陸遜(りくそん)に大敗を喫する。
このとき傅肜は殿軍(しんがり)を務め、味方が討ち減らされる中で敵将から降伏を勧められたものの、あくまで拒んで戦死を遂げたという。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。
また『三国志』(呉書〈ごしょ〉・陸遜伝)によると、傅肜は大督(だいとく。総指揮官)の馮習(ふうしゅう)の下、(猇亭の戦いで)別督(べっとく。一軍の指揮官)を務めていたとのことです。
この傅肜の死から40余年後、息子の傅僉もまた、蜀への忠義を貫く形で戦死しています。
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