士仁(しじん) ※あざなは君義(くんぎ)

【姓名】 士仁(しじん) 【あざな】 君義(くんぎ)

【原籍】 広陽郡(こうようぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第226話で初登場。
【演義】 第073回で初登場。
【正史】 登場人物。

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関羽(かんう)との不和から、あっさり城を明け渡す

父母ともに不詳。

219年、関羽が曹操(そうそう)配下の曹仁(そうじん)らが立てこもる樊城(はんじょう)を攻めた際、士仁は将軍(しょうぐん)として公安(こうあん)の守備を任されていた。

だが、南郡太守(なんぐんたいしゅ)の麋芳(びほう)と同様、士仁も日ごろから関羽が自分たちを軽んじていると考え嫌っていた。そこでふたりは関羽の出陣後、軍資こそ供給したものの、全力で支援しようとはしなかった。

そのうち関羽が帰還後にふたりを処分する意向であると聞き、士仁と麋芳は恐怖を感じて落ち着かない。そこへちょうど孫権(そんけん)配下の呂蒙(りょもう)が荊州(けいしゅう)に侵攻したため、ふたりとも城を挙げ降伏してしまった。

なお、その後の士仁については記事がない。

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管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・関羽伝)によるものです。

また、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呂蒙伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く韋昭(いしょう。韋曜〈いよう〉)の『呉書』には以下のようにありました。

公安を守っていた士仁は、呂蒙の命を受けた虞翻(ぐはん)から会って話をしたいと言われますが、この申し出を断ります。そこで虞翻は手紙を届けることにし、それを読んだ士仁は涙ながらに降伏したのでした。

しかも、呂蒙が降伏した士仁を伴い南郡まで進むと、すでに士仁が降ったのを見た南郡太守の麋芳もすぐに降伏したのだと――。こういうところ、呂蒙は本当に巧いですね。

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