【姓名】 謝氏(しゃし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
呉(ご)の孫権(そんけん)の側室、謝姫(しゃき)
父母ともに不詳。孫権との間に孫霸(そんは)を儲けた。
242年、孫権が孫和(そんか)を皇太子に立てる一方、孫霸を魯王(ろおう)に封じて溺愛したことで、皇太子派と魯王派による国を二分した権力争いが起こる。
250年、孫権が皇太子の孫和を廃して故鄣(こしょう)に幽閉し、魯王の孫霸には自殺を命じた。
その後、264年に孫和の息子である孫晧(そんこう)が帝位に即くと、孫和と孫霸の仲が悪かったことが採り上げられた。
これにより、孫霸の息子で謝氏の孫にあたる孫基(そんき)と孫壱(そんいつ)は、爵位と封国を削られたうえ、謝氏ともども会稽郡(かいけいぐん)烏傷県(うしょうけん)へ強制移住させられた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
意外に区別がつきにくいのですけど、『三国志』(呉書〈ごしょ〉)に伝のある謝氏(謝夫人〈しゃふじん〉)とは別人だと思います。
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