こちらの謎は孟獲(もうかく)にまつわる故事に関するものです。
このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合う中で、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。
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概要
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・諸葛亮伝〈しょかつりょうでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』に以下のような記述があります。
「漢晋春秋曰、亮(諸葛亮)至南中(なんちゅう)、所在戦捷。聞孟獲(もうかく)者、為夷、漢(かん)所服、募生致之」
「既得、使観於営陣之間、曰、此軍如何、獲(孟獲)対曰、向者不知虚実、故敗。今蒙賜観看営陣、若祇如此、即定易勝耳」
「亮(諸葛亮)笑、縦使更戦、七縦七禽(しちしょうしちきん)、而亮(諸葛亮)猶遣獲(孟獲)」
「獲(孟獲)止不去、曰、公(諸葛亮)、天威也、南人不復反矣」
「遂至滇池(てんち)。南中平、皆即其渠率而用之」
『三国志』(蜀書・諸葛亮伝)の裴松之注に引く習鑿歯の『漢晋春秋』
蜀の建興(けんこう)3(225)年に諸葛亮が南中平定に赴き、孟獲らと戦った際のエピソード。いわゆる「七縦七擒」の故事ですが、これは「七縦七擒」でいいのか? それとも「七擒七縦」のほうがいいのか? というのが謎です。
管理人「かぶらがわ」より
一般的には「七縦七擒」とされているようですが、個人的には「七擒七縦」のほうがしっくりきます。なぜなら「擒(禽。捕らえる)」「縦(放つ)」の順に考えるほうがより自然な感じがするからです。
どちらでもいいんじゃない、という感じなのかもしれませんけど、ちょっと気になりました。
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n擒n縦
だと、最後に放ってしまうのでは?
七縦七擒
初めに孟獲が捕らえられた時点(捕虜としての接見)から、孔明との関係性が発生していると考えるのではないかと(1度目は数えない)。
そうすれば、捕虜の孟獲を7度縦って7擒える。最後に臣従して残る、という理屈かな、と。
takasoraさん、コメントありがとうございます。
最初に出会ったときを「擒」として数えず、解放したところから数え始めるというのがポイントですよね。
一般的には「七縦七擒」が採用されている印象がありましたので、そのように解釈すると話は通りますね。
この謎カテゴリーは公開するかどうか迷っていたのですけど、コメントがいただけてうれしかったです。