吉川『三国志』の考察 第184話「火水木金土(かすいもくきんど)」

曹操(そうそう)は渭水(いすい)北岸に寨(とりで)を築こうと考えたものの、完成間近を狙って西涼軍(せいりょうぐん)が襲来するため、なかなかうまくいかない。

しかし夢梅(むばい)と名乗る老人から妙案を聞き、ついに完成に漕(こ)ぎつける。それは氷の城ともいうべきものだった。

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第184話の展開とポイント

(01)渭水の北岸 曹操の本営

渭水は大河だが水深は浅く、その流れは無数に分かれており、河原が多くて瀬は速い。場所によって深い淵(ふち)もあるが、浅瀬は馬でも渡れるし、徒渉もできる。

ここを挟み、曹操は野陣を布(し)き西涼軍と対していたが、夜襲や朝討ちの不安は絶え間がなかった。

そこで曹仁(そうじん)を急き立て、半永久的な寨の構築にあたらせる。曹仁は築造奉行(ちくぞうぶぎょう)となり、渭水の淵に船橋を架け、2万人の人夫に石や材木を運搬させ、沿岸の3か所に仮城を建てるべく日夜急いでいた。

馬超(ばちょう)はこの動きを知ったうえで、工事が8、9分ぐらい完成したところで動く。河の南北から渡り、焰硝(えんしょう。火薬)・枯れ柴(シバ)・油弾などを仮城へ投げかけ、河に油を流して火をかけた。船筏(ふないかだ)も浮き橋も見事に炎上。

何で製したものか、梨か桃の実ぐらいな鞠(まり)をポンポン放る。踏みつぶしても消えず、バッと割れると油煙が立ち、大火傷をする。そして、なお燃え盛るのだった。

こういう厄介な武器を持つ敵に対し、さすがの曹操もほとんど頭を悩ませてしまう。

ここで荀攸(じゅんゆう)が献策し、渭水の堤を利用して土塁を高く築き、延々数里の間を壕(ほり)と土壁の地下城とするよう勧める。

曹操はさらに人夫3万を加え、孜々(しし)として地を掘らせた。穴から上げた土は厚い土壁とし、数条の堤となし壇となし、蟻地獄(アリジゴク)のような土工業が約1か月も続いた。

蟻地獄はウスバカゲロウの幼虫。地面にすり鉢形の穴を掘り、蟻や小さい虫が落ちるのを待って捕らえる。

すると、渭水の水が一日増しに枯れてくる。かなり雨が降り続いても増えない。変だと思っていると一夜、豪雨が降り注いだ。

翌朝、「津波だっ!」「洪水だっ!」と物見が絶叫。遠い上流で半月も前から西涼軍が堰(せき)を作り、河水を溜めていたものである。小石交じりの河原土なので、土城は一朝にして崩れてしまった。壕も穴も埋まって跡形もない。

『三国志演義(4)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第59回)では、西涼軍が河水を使った計を用いていない。馬超の命を受けた龐徳(ほうとく。龐悳)と馬岱(ばたい)が、それぞれ500の軍勢をひきいて突撃し、築かれたばかりの砂城を倒壊させたとある。

(建安〈けんあん〉16〈211〉年の)9月に入った。北国の習いで、もう雪が降りだしてくる。灰色の密雲が深く天を覆い、ここ幾日も雪ばかりなので、両軍とも兵馬を潜めたままにらみ合っていた。

曹操と幕将が、その日もしきりに討議しているところへ、終南山(しゅうなんざん)の隠居で、道号(道士の法名)を夢梅と名乗る翁が訪ねてくる。その容(かたち)も凡ではなかった。

夢梅は『三国志演義』(第59回)では婁子伯(ろうしはく)。正史『三国志』では婁圭(ろうけい。子伯はあざな)となっていた。

曹操が用向きを尋ねると、夢梅は言った。

「この夏ごろから、渭水の北に城寨(とりで)を築こうとなされているらしいが、なぜ火水(ひみず)に潰(つい)えぬ城をお造りにならぬかと、愚案を申し上げに来ましたのじゃ」

なお夢梅が言う。

「これから必ず北風が吹きましょう。小石交じりの河原土でも、急にそれを構築し、築地(ついじ)した後すぐ水をかけておけば、一夜にして凍りつき、一度凍った固さは春まで解けません。要するに氷の城ですから、火に焼かれる恐れもなく、河水に流される心配もありますまい」

告げ終わると、すぐに飄乎(ひょうこ)としてどこかへ立ち去った。

ある日、北風が吹きだす。曹操は夢梅の教えを行う日だと、昼から3、4万の人夫を動員しておいた。日が暮れると、「夜明けまでにもう一度、土城を築け」と命ずる。

この夜は将士もみな総掛かりになった。基礎のあった上であるから、夜明け近くにはほぼ構築された。曹操は全城に水をかけるよう命ずる。

(02)渭水の南岸 馬超の本営

西涼の軍勢は夜明けの光に対岸を眺め、驚き合っていた。一夜のうちに城ができている。しかも以前のような土城ではなく、氷の城だった。馬超や韓遂(かんすい)は駆け破って正体を確かめようと、にわかに大兵を集結して河を渡った。

(03)渭水の北岸 氷の城

馬超は曹操に勝負を呼びかけたものの、傍らから許褚(きょちょ)が馬を乗り出すと、「また会おう」と言い捨てたまま馬を返し、軍勢も退く。

許褚は大いに面目を施したので、その日のうちに決戦状を送り、「明日、出馬しなかったら、天下に笑ってやるぞ」と言い送る。

馬超は怒って、「確かに出会わん」と返書を送り、夜が白むや龐徳・馬岱・韓遂などとともに、物々しい陣容で押し寄せてきた。

許褚が馬を躍らせて呼びかけると、馬超も今日は敢然と出て戦う。こうして戦うこと100余合、双方とも馬が疲れてしまったので、いったん陣中へ引き分かれ、再び馬を換えて戦い直す。

勝負は果てない。火華を散らし槍(やり)を砕き、また戟(げき)を換え、斬り結ぶこと実に100余合。両軍の陣はただ手に汗を握り、うつろに潜まり返って見ているだけだった。

そのうち許褚は、「あぁ暑い。この大汗では目を開いて戦えぬ。馬超、待っておれ」と吐き捨て、味方の陣中へ引っ込む。

馬超が怪しんでいると、許褚は鎧(よろい)や兜(かぶと)に戦袍(ひたたれ)も脱ぎ捨て、赤裸になるやいな、再び大刀を引っ提げて戻る。たちまち三度目の一騎討ちが始まった。

馬超が胸板を狙って槍を突くと、許褚は横に払って刀を地に投げ、退く槍の柄をつかんで小脇に挟む。

ふたりが槍を奪い合っていると、やがて槍が折れる。互いの駒が後ろへよろめき、いなないて竿(さお)立ちになる。

すでにふたりは槍の半分ずつを持ち、猛烈な激闘を交えていた。曹操は、許褚に万一があってはと退鉦(ひきがね)を打たせる。

ところがこの微妙な戦機に、龐徳や馬岱の勢は一度に曹操軍の陣角を強襲した。

夏侯淵(かこうえん)や曹洪(そうこう)などは面も振らずに戦ったが、全体的には西涼軍の士気が強く、ひた押しに押された。この乱軍中に、許褚も肘へ2本の矢を受けたほどだった。

井波『三国志演義(4)』(第59回)では、許褚の腕に2本の矢が命中したとある。

曹操は氷の城を閉ざす。こうなると氷の城郭が物を言った。その後は何ら良計もなく、徐晃(じょこう)と朱霊(しゅれい)のふたりに4千騎を授けて渭水の西に伏せ、自ら河を渡って正面を突こうとした。

だが、事前に馬超が軽兵数百騎をひきいて氷の城の前に迫り、人もなげに諸所を蹂躙(じゅうりん)して去る。

土楼の窓から眺めた曹操は、「実に馬超という敵は尋常な敵ではない。彼の生きてあらん限りは、この曹操の生は安んじられない」と言った。

それを聞いていた夏侯淵は、その夜、曹操が止めるのも聞かず、部下1千騎をひきいて打って出た。案の定、ほどなく苦戦に陥っているとの知らせが届く。曹操自ら救援に赴いたが、かえって敵は意気を盛んにした。

馬超が追いかけ回すと、また曹操は氷の城へ逃げ込んでしまう。しかし、その間に苦戦を忍んで一方の兵力を割き、渭水の西から大兵を渡していた。

馬超は氷城の下まで迫って罵ったが、後陣の韓遂から伝令が来て、後方に異状が見えると知らされた。

(04)渭水の南岸 馬超の本営

暁早く、馬超は総勢を収めて帰る。この日の情報によると、昨夜、渭水の西を渡った大軍は味方の背後へ回り、陣地の構築を始めているとのことだった。

そこで韓遂は方針の一転を献言。これまで切り取った地を一時、曹操に返し、和睦してこの冬を休戦。春とともに別の計を立てるよう勧める。

井波『三国志演義(4)』(第59回)では、この献言をしたのは韓遂ではなく李堪(りたん)。ただ、韓遂も賛同はしていた。李堪については先の第182話(04)を参照。

楊秋(ようしゅう)や侯選(こうせん)らの幕将も同意し、皆で馬超を諫めた。数日後、楊秋は和睦を申し入れる一書を携え、曹操の陣へ使いした。

(05)渭水の北岸 氷の城

曹操は内心では渡りに舟と思ったが、まず楊秋を帰した後、謀将の賈詡(かく)に諮る。賈詡は明らかに偽降だとしたが、突き放す策もよくないと言い、馬超と韓遂を相疑わせて疎隔するよう勧めた。

(06)渭水の南岸 馬超の本営

翌日、馬超の手元に曹操の返簡が届く。その返事は色よいものだったが、なお馬超は数日疑っていた。

この2、3日、曹操軍は後方の支流に浮き橋を架け、都(許都〈きょと〉)へ引き揚げる通路を作っているが、いかにもわざとらしい。彼の部下の徐晃と朱霊は、渭水の西にあって動かないではないかと。

韓遂のほうでも油断せず、一陣は西に備え、一陣は曹操の正面に向け、厳として気を緩めなかった。

(07)渭水

やがて約束の日、曹操は盛装を凝らし、おびただしい諸将や武者を引き連れ、和睦の条約を結ぶ場所まで出向く。

このような豪壮絢爛(けんらん)な軍勢を見たことがなく、曹操の顔も知らない西涼兵たちは、「あれが曹操か?」などと、もの珍しげに指さし合っていた。

管理人「かぶらがわ」より

夢梅の助言により、ついに完成した氷の城。馬超と許褚との激闘。両軍とも決め手を欠く状況での賈詡の献策。やはり、知謀では曹操側に分がありそう……。

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