吉川『三国志』の考察 第128話 「立つ鳥の声(たつとりのこえ)」

単福(たんふく)こと徐庶(じょしょ)は、昨夕に使いの男から受け取った手紙を母が書いたものと信じ込み、劉備(りゅうび)に本名を打ち明けてこれまでの厚恩を謝すと、事情を話し許都(きょと)へ行く許しを得る。

徐庶の出立を見送るため新野(しんや)の郊外まで馬を並べる劉備。いつまでも名残は尽きないが、別れ際の徐庶から隆中(りゅうちゅう)に住む諸葛亮(しょかつりょう)を訪ねるよう勧められた。

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第128話の展開とポイント

(01)新野(しんや)

母の手紙を受け取った翌日、徐庶(じょしょ)は朝一番に出仕。

徐庶の母の手紙については前の第127話(03)を参照。

さらに本名を告げ、荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)に仕えてみたが、その人物を見限り同地を去ったこと、そして司馬徽(しばき)に勧められ新野へ来、仕官の機をうかがっていたことなども話す。

徐庶は、素性も定かでない自分を抜てきしてくれたことへの感謝を述べたうえ、母の手紙を示して暇(いとま)を乞う。劉備は申し出を快諾。その手紙を見てもらい泣きし、目にはいっぱいの涙をたたえていた。

終日ふたりは尽くさぬ名残を語り暮らし、夜には幕将を集めて餞行(せんこう)の宴を盛んにする。つまり送別会である。

夜が白み始めたころ、諸将は惜別の言葉を繰り返しながら最後の別杯を挙げ、おのおの休息に退がった。

劉備も牀(しょう。寝台)に寄ってひとり居眠っていると、そっと孫乾(そんけん)がやってくる。孫乾は、徐庶を許都(きょと)へ遣るのは不利だとして、引き留めるよう促した。

そのうえ、彼を引き留めておけば、曹操は見切りをつけその母を殺すだろうとして、そうなればいよいよ彼は敵意を励まし、曹操を討ち破ることに生涯を懸けるに違いないとも言う。

しかし、劉備はそのような不仁なことはできないと言い、聞き入れようとしなかった。

(02)新野の郊外

劉備は自ら城外まで見送り、関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)らも騎従する。徐庶が恐縮のあまり送行を辞すと、劉備は「では、ここで別れの中食(ちゅうじき)を取ろう」と、一亭の内で別杯を酌んだ。

なお別れるに忍びず、劉備は「もう4、5里(り)ほど」と、ともに轡(くつわ)を並べて送っていく。徐庶は固辞したものの、思わず劉備は10里ほど来てしまう。

そこからまた7、8里も行くと、帰途を案じた諸将がみなで馬を控えた。劉備と馬上で握手を交わすと、ついに徐庶は駒のたてがみに面を沈めながら駆け去る。

ところが劉備らが6、7里ほど引き返してくると、彼方から徐庶が駆け戻ってきた。だが心変わりしたわけではなく、大事なひと言を告げ忘れたという。

襄陽(じょうよう)の西20里にある隆中(りゅうちゅう)という村落に、ひとりの大賢人がいるのだと。是非この人を訪ねてほしいとも。

言い終わると徐庶はもとの道へ駒を急がせたが、劉備の声にもう一度戻ってくる。劉備は、隆中に住むという賢人について尋ねるが、徐庶は自分を始め、今日の人物と比較することは困難だと答える。

周(しゅう)の太公望(たいこうぼう)や漢(かん)の張子房(ちょうしぼう。張良〈ちょうりょう〉)などなら、彼と比肩できるかもしれないとも。

劉備は徐庶が友人だというので、その人を新野へ連れてきてくれないかと言うが、徐庶は顔を横に振り、ご自身で彼の柴門(さいもん)を叩(たた)かれ、親しくお召しにならないと駄目だと応ずる。

徐庶は、その賢人が諸葛亮(しょかつりょう)であることを明かし、彼について聞き知っていることを話す。劉備は、諸葛亮が臥龍先生(がりょうせんせい)とも呼ばれていると聞き、以前に司馬徽から言われたことを思い出す。

劉備が司馬徽の庵(いおり)を訪ねたことについては、先の第124話(01)を参照。

諸葛亮の廬(ろ)を必ず訪ねるよう念を押し、許都へと駆け去っていく徐庶。

管理人「かぶらがわ」より

母の偽手紙に騙(だま)され、劉備のもとを離れてしまう徐庶。

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吉川『三国志』 (05) 孔明の巻
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