かぶらがわ

150年代

159年(漢の延熹2年)の主な出来事

-159年- 己亥(きがい) 【漢】 延熹(えんき)2年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉) 月別および季節別の主な出来事 【02月】 鮮卑(せんぴ)が雁門郡(がんもんぐん)に侵攻する。 『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かんていぎ〉) ...
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150年代

158年(〈漢の永寿4年〉→延熹元年)の主な出来事

-158年- 戊戌(ぼじゅつ) 【漢】 (永寿〈えいじゅ〉4年) → 延熹(えんき)元年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉) 月別および季節別の主な出来事 【03月】 己酉(きゆう)の日(4日) 桓帝が、初めて鴻徳苑令(こうとくえんれい)...
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150年代

157年(漢の永寿3年)の主な出来事

-157年- 丁酉(ていゆう) 【漢】 永寿(えいじゅ)3年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 己未(きび)の日(?日) 桓帝が大赦を行う。 『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かんていぎ〉) ★...
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150年代

156年(漢の永寿2年)の主な出来事

-156年- 丙申(へいしん) 【漢】 永寿(えいじゅ)2年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 桓帝が、初めて宦官(かんがん)が3年の喪に服すことを許す。 『後漢書(ごかんじょ)』(桓帝紀〈かん...
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150年代

155年(漢の永寿元年)の主な出来事

-155年- 乙未(いつび) 【漢】 永寿(えいじゅ)元年 ※桓帝(かんてい。劉志〈りゅうし〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】「漢(かん)の改元」 戊申(ぼしん)の日(14日) 桓帝が大赦を行い、「永興(えいこう)」を「永寿」と...
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150年代

155~159年の主な出来事(ダイジェスト版)

当サイトで取り扱う「正史年表」の始まりを155年にしたのは、何と言っても、曹操(そうそう)がこの年に生まれているからです。 また、同じ時期に孫堅(そんけん)も生まれている点は見逃せませんし、張昭(ちょうしょう)が曹操のひとつ年下だったのは意...
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晋代(西晋)初期の年号の変遷(265~284年)

こちらの20年間では魏(ぎ)が滅亡し、残った呉(ご)が晋(しん)と対峙(たいじ)する形になります。 ですが、すでに天下の趨勢(すうせい)は晋へと傾いており、280年に呉も滅亡したことで、ついに晋による三国統一が果たされました。 魏の晋への禅...
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そのほかの参考データ

三国時代の年号の変遷(220~264年)

こちらの45年間では漢(かん)が滅亡し、ほどなく魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国が鼎立(ていりつ)しました。 このうちの蜀が建国から43年目(263年)に滅亡したため、文字通りの三国時代は222~263年の実質42年間だったと言えます...
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後漢時代末期の年号の変遷(155~219年)

こちらの65年間では、やはり189年の混乱ぶりが際立っています。3度も改元した揚げ句、もとの年号に戻すというのは極めて異例ですよね。 189年は霊帝(れいてい。劉宏〈りゅうこう〉)が崩御(ほうぎょ)し、跡を継いだ少帝(しょうてい。劉辯〈りゅ...
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『三国志演義』の構成

『三国志演義』には数多くの版本が存在するうえ、数多くの先生方によって翻訳された日本語版が出版されています。 この記事では『三国志演義 改訂新版(全4冊)』(羅貫中〈らかんちゅう〉著 立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)より、各回のタ...
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正史『三国志』の構成(呉書〈呉志〉)

呉(ご)は孫権(そんけん)によって建国され、孫亮(そんりょう)、孫休(そんきゅう)、孫晧(そんこう)を経て滅亡(晋〈しん〉に降伏)に至りました。 「呉主伝(ごしゅでん)」と「三嗣主伝(さんししゅでん)」に加え、孫堅(そんけん。孫権の父)と孫...
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正史『三国志』の構成(蜀書〈蜀志〉)

個人的には「劉二牧伝(りゅうにぼくでん)」が「先主伝(せんしゅでん)」より先に置かれている点がミソだろうと思うのですけど……。 とりあえず「先主伝」と「後主伝(こうしゅでん)」を読めば、蜀(しょく)の建国から滅亡まで順を追ってつかめますね。...
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正史『三国志』の構成(魏書〈魏志〉)

まず4巻ある本紀(ほんぎ。帝紀〈ていぎ〉)を読めば、魏(ぎ)の成立から晋(しん)への禅譲までの過程がひと通り把握できます。 また、わが国のことが書かれていて有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』ですが、『三国志』(魏書)の「烏丸鮮卑東夷伝(...
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