吉川『三国志』

(08) 図南の巻

吉川『三国志』の考察 第215話「正月十五夜(しょうがつじゅうごや)」

曹操(そうそう)は管輅(かんろ)の予言にあった、「明春早々、都の内に火の災いあらん」という部分が気になっていた。 その対策として夏侯惇(かこうじゅん)に3万の兵を付け、許都(きょと)の郊外に配置。加えて王必(おうひつ)を府内に入れ、御林(ぎ...
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吉川『三国志』の考察 第214話「神卜(しんぼく)」

曹操(そうそう)は左慈(さじ)の一件以来、何となく体調が優れない。そこで許芝(きょし)の勧めに従い、卜(うらない)の名人として知られる管輅(かんろ)を招く。 そして管輅から、左慈の見せたものの正体は幻術だと聞かされると、曹操の顔色もようやく...
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吉川『三国志』の考察 第213話「藤花の冠(とうかのかんむり)」

左慈(さじ)は魏王宮(ぎおうきゅう)落成を祝う大宴を台なしにしたうえ、痛烈な曹操(そうそう)批判を繰り返す。 そして宴席から姿を消すと、曹操の命を受けた許褚(きょちょ)の追跡もかわしたが、ほどなく人相書きそっくりの左慈が各地で捕らえられる。...
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吉川『三国志』の考察 第212話「柑子と牡丹(こうじとぼたん)」

ついに魏王(ぎおう)となった曹操(そうそう)は、さっそく鄴都(ぎょうと)に魏王宮を造営する。これが完成をみると、祝宴のため各地の名産品が集められた。 呉(ご)からは、温州(うんしゅう)の柑子(こうじ。蜜柑〈ミカン〉)40荷が送られることにな...
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吉川『三国志』の考察 第211話「休戦(きゅうせん)」

曹操(そうそう)と孫権(そんけん)は濡須(じゅしゅ)で激戦を続けていたが、孫権は軽率な判断から劣勢を招き、陸遜(りくそん)がひきいた援軍の到着で何とか総崩れを免れる。 陸遜の反撃を受けた曹操軍は一転して敗北を喫し、その勢いも大きく削がれる。...
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吉川『三国志』の考察 第210話「鵞毛の兵(がもうのへい)」

曹操(そうそう)は、漢中(かんちゅう)に張郃(ちょうこう)と夏侯淵(かこうえん)を残して南下し、孫権(そんけん)が待ち構える濡須(じゅしゅ)へ向かう。 孫権軍は初戦で敗れたものの、甘寧(かんねい)が100名の決死隊による夜襲を成功させたこと...
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吉川『三国志』の考察 第209話「遼来々(りょうらいらい)」

魏(ぎ)の皖城(かんじょう)を攻略した孫権(そんけん)は、余勢を駆って合淝(がっぴ。合肥)へ迫る。曹操(そうそう)はこの要地を張遼(ちょうりょう)に任せ、さらに副将として楽進(がくしん)と李典(りてん)を付けていた。 勝ちに驕(おご)り前進...
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吉川『三国志』の考察 第208話「剣と戟と楯(けんとほことたて)」

曹操(そうそう)が漢中(かんちゅう)まで進出してくると、劉備(りゅうび)は諸葛亮(しょかつりょう)の進言を容れ、伊籍(いせき)を孫権(そんけん)のもとへ遣わし、荊州(けいしゅう)3郡の返還に応じた。 孫権は併せて伝えられた劉備の要請に応え、...
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吉川『三国志』の考察 第207話「漢中併吞(かんちゅうへいどん)」

曹操(そうそう)は蜀(しょく)を手にした劉備(りゅうび)の動きを封ずるべく、まずは漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)攻めを決断する。 曹操は自ら大軍をひきいて遠征に臨み、策を用いて陽平関(ようへいかん)を突破すると、敵方の楊松(ようしょう...
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吉川『三国志』の考察 第206話「冬葉啾々(とうようしゅうしゅう)」

先に魏公(ぎこう)に封ぜられた曹操(そうそう)だったが、彼の追従者たちからは、さらに魏王に爵位を進めるべきだという声が上がる。 このことはすぐに実現をみなかったものの、いよいよ不安を募らせた献帝(けんてい)は、皇后の父である伏完(ふくかん)...
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吉川『三国志』の考察 第205話「臨江亭会談(りんこうていかいだん)」

広大な蜀(しょく)の地を手にした劉備(りゅうび)に対し、孫権(そんけん)も当然のごとく、荊州(けいしゅう)返還問題の決着を迫る。 使いを命じた諸葛瑾(しょかつきん)が戻り、劉備が荊州のうち3郡の返還を認めたとの報告を受けると、孫権は官吏に軍...
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吉川『三国志』の考察 第204話「成都陥落(せいとかんらく)」

李恢(りかい)の説得に応じて劉備(りゅうび)に降った馬超(ばちょう)。さっそく従弟の馬岱(ばたい)と成都(せいと)へ行き、漢中(かんちゅう)から援軍が来ない旨を伝え、劉璋(りゅうしょう)に降伏を促してみたいと願い出て許される。 成都城内では...
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吉川『三国志』の考察 第203話「馬超と張飛(ばちょうとちょうひ)」

再び隴西(ろうせい)で曹操(そうそう)に敗れた馬超(ばちょう)は、馬岱(ばたい)や龐徳(ほうとく。龐悳)ら6、7名で漢中(かんちゅう)へたどり着き、張魯(ちょうろ)のもとに身を寄せる。 ほどなく張魯の許しを得た馬超が、漢中の兵馬をひきいて葭...
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吉川『三国志』の考察 第202話「西涼ふたたび燃ゆ(せいりょうふたたびもゆ)」

建安(けんあん)18(213)年、先に曹操(そうそう)に惨敗を喫し、いずこともなく落ち延びた馬超(ばちょう)が隴西(ろうせい)諸郡の攻略を進め、勢いを盛り返しつつあった。 しかし、冀城(きじょう)で馬超に降って許された楊阜(ようふ)は、従兄...
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吉川『三国志』の考察 第201話「金雁橋(きんがんきょう)」

雒城(らくじょう)の守りは堅く、劉備(りゅうび)らが攻めても陥ちる気配はない。やがて城内の劉璋軍(りゅうしょうぐん)が反撃に転ずると、不意を突かれた劉備軍は敗走。だが荊州(けいしゅう)から張飛(ちょうひ)が合流し、劉備は命拾いする。 その後...
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吉川『三国志』の考察 第200話「草を刈る(くさをかる)」

先に蜀(しょく)に入った劉備(りゅうび)の要請を受け、諸葛亮(しょかつりょう)の指示で巴郡(はぐん)を経由し、雒城(らくじょう)へ向かう張飛(ちょうひ)。 だが、巴郡を守る厳顔(げんがん)は世に聞こえた名将で、張飛の策をことごとく退ける。そ...
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吉川『三国志』の考察 第199話「破軍星(はぐんせい)」

涪城(ふじょう)を出てから劉備(りゅうび)とふた手に分かれ、雒城(らくじょう)を目指す龐統(ほうとう)。彼が落鳳坡(らくほうは)で無念の戦死を遂げたころ、ちょうど荊州(けいしゅう)では七夕の祭りが行われていた。 劉備が遠征中のため、城中で催...
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吉川『三国志』の考察 第198話「落鳳坡(らくほうは)」

涪城(ふじょう)の劉備(りゅうび)のもとに、荊州(けいしゅう)から諸葛亮(しょかつりょう)の書簡を携えた馬良(ばりょう)が着く。 諸葛亮への劉備の揺るがぬ信頼ぶりを目の当たりにした龐統(ほうとう)は、複雑な感情を抱き、あえて速やかな進軍を促...
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吉川『三国志』の考察 第197話「短髪壮士(たんぱつそうし)」

雒城(らくじょう)郊外で奪取した敵陣に黄忠(こうちゅう)と魏延(ぎえん)を置き、ひとまず涪城(ふじょう)へ戻る劉備(りゅうび)。涪城では龐統(ほうとう)が留守を預かっていた。 漢中(かんちゅう)の張魯軍(ちょうろぐん)が葭萌関(かぼうかん)...
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吉川『三国志』の考察 第196話「魏延と黄忠(ぎえんとこうちゅう)」

涪城(ふじょう)に入った劉備(りゅうび)は続いて雒城(らくじょう)を狙う。雒城は涪城と成都(せいと)の間に位置する要害だった。 雒城から出撃した劉璋(りゅうしょう)配下の冷苞(れいほう)と鄧賢(とうけん)に対し、劉備側では魏延(ぎえん)と黄...
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