麋氏(びし) ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の妻

【姓名】 麋氏(びし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 東海郡(とうかいぐん)胊県(くけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第003話で初登場。
【演義】 第014回で初登場。
【正史】 登場人物。

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蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の側室?

父母ともに不詳。麋竺(びじく)は兄で、麋芳(びほう)も兄弟。

麋氏は、196年に麋竺の意向を受けて劉備に嫁いだ。その後の動静は不明。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

吉川『三国志』(第143話)や『三国志演義』(第41回)では、劉備が当陽(とうよう)で曹操(そうそう)に追いつかれた際にはぐれてしまい、助けに来た趙雲(ちょううん)に阿斗(あと。劉禅〈りゅうぜん〉の幼名)を託し、自分は井戸に身を投げて死んだということになっています。

『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・趙雲伝)には、趙雲が当陽県の長坂(ちょうはん)で、同じく劉備の夫人(正室?)の甘氏(かんし)と、まだ幼子だった劉禅を救ったことが書かれていますが、麋氏への言及はありませんでした。

ただ、その後は麋氏が登場しないので、見せ場のひとつになっている吉川『三国志』や『三国志演義』での描かれ方は、うまくできているとも感じます。

吉川『三国志』では、劉備が若いころに出会った白芙蓉(はくふよう)という佳人が、この糜氏(麋氏)だということになっているのですが、設定に混乱が見られます。

まず第3話で、白芙蓉(姓は鴻〈こう〉、名は芙蓉)の父が県の城長(というなら県長か?)」を務めていたことが老僧から語られ、続く第4話で、この城長の鴻氏が張飛(ちょうひ)の旧主だったこともわかります。

第53話では、劉備の夫人として甘氏と糜氏が登場しており、第99話では、ふたりの容姿などが説明されていますが、ここで十何年か前に劉備が出会った白芙蓉が、いまの糜夫人であったとあるのです。

ですが、鴻芙蓉=麋氏(糜氏)という設定は、ちょっと強引ではないでしょうか? 麋竺の立場はどうなるのか……。

さらにとどめというか、第150話では、糜竺(麋竺)が劉備に仕える(援助する)に至った経緯が語られていて、「糜竺が進んで自分の妹を玄徳(げんとく。劉備のあざな)の室に入れた」ともあります。

白芙蓉=鴻芙蓉=糜氏(糜竺の妹)となると、糜竺の父も城長だった鴻氏ということになりませんか? それなら、なぜ彼は鴻竺ではないのか?

序盤で登場させた佳人の白芙蓉は、あくまで劉備の初恋の人という設定にとどめておき、糜竺の妹の糜氏と切り離す手はなかったのか? ずっと引っかかっているところです。

確かに小説としては、いったん離ればなれになった白芙蓉を、後で娶(めと)ることができました。めでたし、めでたし。という展開のほうが、読者に支持されそうな気はしますけど……。

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