190~199年の主な出来事(ダイジェスト版)

こちらの10年間では、孫堅(そんけん)・劉虞(りゅうぐ)・劉焉(りゅうえん)・陶謙(とうけん)・張邈(ちょうばく)・張超(ちょうちょう)・劉繇(りゅうよう)・公孫瓚(こうそんさん)・袁術(えんじゅつ)といった群雄諸侯が次々に世を去り――。

馬謖(ばしょく)・曹植(そうしょく)・曹彪(そうひゅう)・曹沖(そうちゅう)・陸凱(りくかい)といった面々が誕生しています。

また、王允(おういん)らの画策が功を奏し、一時は巨大な権力を握った董卓(とうたく)も呂布(りょふ)の手により成敗されました。

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年別の主な出来事

-190年-
反董卓連合軍の結成。
劉辯(りゅうべん)の薨去(こうきょ)。
董卓の長安(ちょうあん)遷都。
曹操(そうそう)が滎陽(けいよう)で董卓軍に敗北。
馬謖の誕生。

-191年-
孫堅が洛陽(らくよう)に一番乗り。
袁紹(えんしょう)が韓馥(かんふく)から冀州(きしゅう)の実権を奪う。
孫堅の戦死(異説もある)。
荀彧(じゅんいく)が袁紹のもとを去り曹操に仕える。

-192年-
孫堅の戦死(異説もある)。
界橋(かいきょう)の戦い。
呂布が董卓を殺害。王允との共謀。
寿張(じゅちょう)の戦い。曹操の青州兵(せいしゅうへい)編成。
李傕(りかく)・郭汜(かくし)・樊稠(はんちゅう)・張済(ちょうせい)らが反乱。長安を攻略。
王允・蔡邕(さいよう)・鮑信(ほうしん)・盧植(ろしょく)の死。
曹植の誕生。

-193年-
匡亭(きょうてい)の戦い。
下邳(かひ)の闕宣(けつせん)が天子(てんし)を僭称(せんしょう)。これに陶謙が助力。
曹操の徐州(じょしゅう)侵攻。
曹嵩・劉虞の死。

-194年-
漢(かん)の改元。
曹操の徐州再侵攻。
張邈・陳宮(ちんきゅう)が曹操に背き、呂布を擁立。
大規模な日照りと蝗(イナゴ)の被害。
劉焉・陶謙の死。

-195年-
曹操が定陶(ていとう)で呂布を大破。呂布は劉備を頼る。
献帝(けんてい)の東帰行。
張邈・張超・朱儁(しゅしゅん)・許劭(きょしょう)・劉繇・笮融(さくゆう)・皇甫嵩(こうほすう)の死。
曹彪の誕生。

-196年-
漢の改元。
献帝の洛陽還幸。
曹操の許(きょ)遷都。
呂布に敗れた劉備が曹操を頼る。
曹操の「屯田制(民屯)」実施。
張済の死。
曹沖の誕生。

-197年-
袁術が天子を僭称。
孫策(そんさく)が袁術と絶縁。
曹昂(そうこう)・典韋(てんい)・楊奉(ようほう)・韓暹(かんせん)・李傕(異説もある)・郭汜・諸葛玄(しょかつげん)の死。

-198年-
曹操の下邳城攻略。呂布・陳宮を処刑。張遼(ちょうりょう)は曹操に仕えることに。
禰衡(でいこう)の死。
陸凱の誕生。

-199年-
劉備が車胄(しゃちゅう)を殺害し徐州で独立。
公孫瓚・袁術・張楊(ちょうよう。異説もある)の死。

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190年代 正史年表
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