210~219年の主な出来事(ダイジェスト版)

こちらの10年間では、周瑜(しゅうゆ)・張紘(ちょうこう)・馬騰(ばとう)・荀彧(じゅんいく)・張松(ちょうしょう)・龐統(ほうとう)・荀攸(じゅんゆう)・魯粛(ろしゅく)・関羽(かんう)・関平(かんぺい)・呂蒙(りょもう)・夏侯淵(かこうえん)らが世を去り――。

阮籍(げんせき)・司馬昭(しばしょう)・賈充(かじゅう)・孫峻(そんしゅん)らが誕生しました。

曹操(そうそう)が魏公(ぎこう)を経て魏王(ぎおう)に昇れば、その曹操から漢中(かんちゅう)を奪取した劉備(りゅうび)も漢中王に昇るなど、様々な面で両者の激しい対立が見られた年代でした。

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年別の主な出来事

-210年-
曹操の求賢令布告
曹操の銅雀台(どうじゃくだい)造営
周瑜・曹純(そうじゅん)の死
阮籍の誕生

-211年-
曹操の関中(かんちゅう)遠征
劉璋(りゅうしょう)が益州(えきしゅう)に劉備を迎え入れる
張紘の死
司馬昭の誕生

-212年-
馬騰の死
劉備が劉璋との戦端を開く
荀彧・張松の死

-213年-
濡須口(じゅしゅこう)の戦い
曹操が魏公に昇る

-214年-
馬超(ばちょう)が張魯(ちょうろ)を頼る
劉璋が劉備に降伏
曹操の宋建(そうけん)討伐
伏皇后(ふくこうごう)の廃位と死
曹操の求賢令再布告
龐統・荀攸・田疇(でんちゅう)・宋建・蒯越(かいえつ)の死

-215年-
曹操の娘が献帝(けんてい)の皇后に立てられる
曹操の張魯(ちょうろ)討伐、張魯は降伏
韓遂(かんすい)?・孫瑜(そんゆ)・黄蓋(こうがい)の死

-216年-
曹操が魏王に昇る
匈奴(きょうど)の呼廚泉(こちゅうせん)が魏に来朝
崔琰(さいえん)・霍峻(かくしゅん)?の死
曹幹(そうかん)の誕生

-217年-
疫病の流行
徐幹(じょかん)・陳琳(ちんりん)・応瑒(おうちょう)・劉楨(りゅうてい)・王粲(おうさん)・司馬朗(しばろう)・董襲(とうしゅう)・魯粛・淩統(りょうとう)?の死
賈充の誕生

-218年-
吉本(きつほん)らの反乱、王必(おうひつ)・厳匡(げんきょう)が鎮圧
侯音(こうおん)の反乱、翌年、曹仁(そうじん)が鎮圧
耿紀(こうき)・韋晃(いこう)・金禕(きんい)・吉邈(きつばく)・楽進(がくしん)・孫賁(そんほん)?・呉蘭(ごらん)の死

-219年-
劉備が曹操から漢中を奪う
劉備が漢中王に昇る
魏諷(ぎふう)の反乱、曹丕(そうひ)が未然に抑える
孫権(そんけん)の荊州(けいしゅう)攻略
関羽・関平・呂蒙・孫皎(そんこう)・蔣欽(しょうきん)・陸績(りくせき)・夏侯淵・楊脩(ようしゅう)・龐悳(ほうとく)の死
孫峻の誕生

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